kurohone’s diary

色々チャレンジしたい看護師

【国立病院やめてみて思うこと】いい意味でも悪い意味でも分岐した人生①

始めまして、クロホネと申します。

去年の春まで某国立病院(今は独立行政法人国立病院機構といいますが)に勤めていましたが、退職し、今は民間でのんびりしつつ色々なことにチャレンジ中です。

その一環でブログもやってみよーってわけです。

 

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なぜ10年続けた準公務員を辞めたのか。

 

一言で言ってしまえば「ちょっと窮屈だったから」。

はい。窮屈だったんです。

 

別に今でも前の職場は嫌いじゃない。むしろ今でも好き。

やっぱり医療としてのクオリティーは高かったし、スタッフもDrもみんな良い人だった。すべてがルール化されており、マニュアルや規則が整備されつくしていた。簡単に言えば「ちゃんとしていた」。

 

新人さんにはとても親切丁寧(僕自身が新人の時は厳しかったんだぜ?)に研修、技術練習を教えてくれる。分厚い新人教育マニュアルを使ってね。

どんなに忙しくても、何かミスやヒヤリハットがあれば1時間くらい時間を割いて振り返りを行い対策を考える。そう、どんなに忙しくても。

1年おきに目標を立て、自分と上司で評価をし、日常業務+αでより質の高いケアを目指す…

すごくきっちりしていた。すごくみんなまじめに、真摯に医療をやっている。

僕もその中で真面目にやっていた。

 

でもなんとなく、、

「公務員」という看板を背負っていることもあって、まるで公立学校の延長のような雰囲気があり、「このままずっとまじめにやっていくのか…」と漠然と何か違和感を感じていたのでありました。

 

 

トリガーは「部署異動」だった。

社会人9年目にして初めて部署異動。それまで外科オンリーでやってきた自分はいきなりポイっと血液内科という内科の中でもド級の内科に異動となった。

 

これがすべての始まりだった。

 

外科にいるときは呑気だった。運よく異動を免れ続けた結果、いずれは異動があることは間違いなかったのに、なぜか一生外科にいられるような気がしていた。自分の城で和気あいあいとやる看護がずっと…そんな錯覚をしていた。……甘かった。

 

知らない単語、知らない薬、外科と違って経過も長く、患者さんも長期入院でナーバス気味。恐怖のクリーンルーム。慣れない病棟、慣れないスタッフ。

もはや別職種なのでは…と思うと、すぐにメンタルがズタズタになった。(弱い)

 

だって外科が好きなんだもん…そう思って毎日くよくよしていた。

 

だが無情なもので、看護師とは自分でやりたいジャンルは選べないことがあるのだ。そこが医師と大きく違うところで、でかい組織に属すればするほど、様々な科を経験せざるを得なくなるのだ。自分では選べない…。全然興味なくてもやらなくてはいけない。 

 

数年かけて積み重ねたものが、また1からになる感覚。

いや、そもそも外科だって長くいたから好きだと錯覚しているのかもしれない。自分が安心できる場所を作ってもまたすぐに異動が…と不安でいっぱいになった。

 (1年経つころには血液内科も大好きになってたのにだ)

 

 

今考えれば別に看護師じゃなくたって世の中色んな仕事で色んな部署があって、毎年のように部署異動している人だっているわけなので、至極ありふれたことなのだが。

その時の僕は異常なほど視野が狭かった。

 

本当に看護が好きなひとじゃなければ…この世界はやっていけないのでは…

自分にはそんな志がなかったのでは… 

 

そして初めて思った。

 

そもそも俺は看護師がやりたかったのか…

 

危険な思考の始まり。この時すでに自分には子供が二人いた。

自分探ししてる場合じゃないッ。

 

でも、幹部任用試験も受かり、このままでは昇進…抜け出せず…この選択肢のない組織で流され続け…師長ともなれば、別の国立病院へ異動…(国立病院機構では師長昇進とともに病院間を異動します)

科が変わっただけでこんなにストレスなのに、病院まで変わったら…あああああああああああ!!!!

 

思考が独り歩きするのはとても速かった。

こうして書いてみると、別に悲観すべき部分が全然見つからない。なんだこいつ。

でもその時の僕はとても不安だったし、焦っていた。

 

 

 

 

家族の男どもは僕以外自営業だった。

話は変わるが、僕の実家の父、兄弟はみな自営業だった。父は金属加工、兄は美容師、双子の弟に至っては漫画家であった。

僕の異動があったとき、ちょうど兄は独立し、自分の美容院を開店。

弟も連載があったりした。

すごく楽しそうに見えた。(後にこのことを話すと二人から「自営業なめんなあテメエ」と言われたがw)

 

羨ましかった。そしてさらに焦った。

 

自由だった。もともと気ままな父を含め、僕にはない「自由」を感じた。

自分がやりたいことのためにスキルを磨き、それそのまま仕事に活かす。

そんな会話を聞きながら、自分の今の不自由さが引き立っていった。

 

売り上げが~…経費が~…とか言ってみたかった。(なめんな)

 

なんとなく人の役に立てるかな~って、なんとなくかっこいいかな~って、なんとなく食いっぱぐれないかな~って……僕は看護師になっていた。

 

 

 

なんで俺にはやりたいことがなかったんだろう…

一人布団の中で口に出したあの夜のことを今でも覚えている。 

 

 

そして思った。

いや……今からでも遅くないのでは…。

自分の軸がブレだした瞬間を自覚している人は世の中にどれほどいるだろう。

 

僕は確信しているが、このときに「真面目な看護師さん」をやってきた自分の軸がブオオオンってブレた。

 

 

 

 

そうだ、YouTubeを始めてみよう。

文字に起こすと、とても恥ずかしい。

そんなことあるかよ。もう30歳だぞ。

お前マジでそんな典型的なはみ出し方あるかよ。

二児のお父さんだぞ、お前もう30だぞ。

 

でもその時僕は本気だった。(いや今でも本気でやってるよ?)

公務員の方であれば一度は経験があるだろう(あってほしい)「俺も何かクリエイティブなことがしたい病」だ。

 

寝室でスヤスヤ寝ている子供たちを見ると、絶対に不自由はさせたくないとも思った。

 

けれど、

信じていた。それが自分のしたいことだと。ちゃんと働きながらやればいいんだ!と。これで人生の問題が解決すると。

当時子供と見ていた「瀬戸弘司の動画」の瀬戸さんみたいに、自由に自由を楽しむ、そんな自分になれるかもしれないと。

 

ここから、国立病院退職への道が始まるのだ。

 

 

 

 

はじめに言っておくが、この後僕は鬱になる。

 

 しばらく後悔の嵐に苛まれる。

反省すべき点はたくさんあるが、一番はリサーチ不足であった。

 

クリエイティブ活動をするために、まずはこの規則びっしりの国立病院を辞める。

そもそも副業したら新聞に載ってしまうような職場でのクリエイティブ活動は無理だと思った。

 幸か不幸か、看護師というのは就職先が山ほどある。

しかも収入もそれほどは変わらない。(後の後悔の種になる退職金…福利厚生を除いて考えるとだが)

 

 

 

これも今思えばだが、そもそもの不安の種が職場の環境が変わることだったのに、それから逃れるために職場を変えるという、わけのわからない状況だった。

いくらクリエイティブなことがしたいという願望があったとはいえ、狂っていた。

 

しかし僕は止まらない。

 

「まずは時間がたっぷりとれるところが条件だよね!」

 

そう思った。

もう書いてて辛い。とても浅い。自慢ではないがすべて順調な人生を歩んできたおかげで頭の中がお花畑だった。

 

そしてそのフラワーな頭が考え出したのが、「家から近く、定時で上がれそうで、それなりの規模がある民間病院」だった。

 

そんな都合のいい条件あるわけねーだろうが、このキティ野郎。

 

 

 

 

あった。

あってしまった。結構大きくて家から激近。しかも前からちょっと興味あった精神科。

しかしさすがに内情が全く知れないところにいくのもさすがに…と思ったので、求人募集ページや病院のwebサイト、口コミなど調べるも、自分で調べるには限界があった。

 

そこで某看護師転職サイトに登録。調べてもらうことに。

 

だが…これがフットワークの悪いこと悪いこと。(今も許してねえからな)

最初は募集があるかないかを調べてもらうだけだったのに、「9月になれば情報が出ます」との返答。待ってから9月にもう一回かけたら「色々変動があるから10月には~…」

この時点でお察しの通り、10月にもう一度電話したら「11月頃には…」

しかも、9月の電話で聞いていた経験考慮の有無や、副業の可否なども一切わからずであった。

 

…………おいコラ舐めてんのかてめえ!

何じゃコラおい!なんも仕事してねえじゃねえか!

 

でも当時の僕はフラワーなので、「それじゃあもう自分で病院に電話かけてみるか~」くらいに流していた。

こいつもこいつでどうかしている。

 

そして病院に電話かけたらかけたで「そういうのはハローワークとかに書いてあるんで~…」と。病院見学も断られた。

でもフラワーなので、「さすがに経験考慮もあるし、規模がでかいからそれなりに手厚いっしょ」と決めつけていた。

 

 

文章に起こすとヤバい。ヤバすぎる。当時の僕には何か大切なものが欠損していた。

 

そしてあっさり面接に行き、内定をもらい、10年勤務した国立病院の機構本部に退職届を出した。

 

 

その後、人生で最も暗黒な時間を過ごすことになるとも知らずに。

 

②に続きます。

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